IOFT 30周年記念講演の全記録 2
2018.01.13眼鏡の業界に入って
「眼鏡業界に入った理由」
大学卒業後堅い家系の背景から自分も堅い仕事に就くのが当然と考え都銀へ就職しました。しかし全く性に合わずに割と直ぐ辞めてしまいました。ファッションには関心が高かったのですが、家系の堅さからかファッションの真っ只中に入ることには抵抗があり、ファッションと堅い内容とを組み合わせて人の役に立てる仕事が無いかと考えた結果、顔の真ん中にあって人の印象を大きく左右するアイテムでもあり、医療的な側面もあり、自分が望む方向でやって行ける仕事なのでは無いか、と考えて眼鏡業界へ入りました。1980年代前半当時、眼鏡は全くファッションアイテムではありませんでした。
「始めに勤めた眼鏡販売会社での経験」
始めに勤めた大手の眼鏡販売会社では、希望した方向で働ける感触は全くありませんでした。問題解決の道具を提供する場として非常に歴史があり信頼されていましたが、眼鏡を買うお客様が楽しそうで無いのがイヤでした。
ある時会社の上層部が若手社員を集め、経営に若手の声を生かす会議が開かれた際に、眼鏡店の将来がどうなって行くべきか、と問われ「デートの最中に立ち寄られる場所になって行かなければならない」と意見を唱えましたが失笑されてしまいました。自分としては本気で考えていました。
NY支店へ赴任してからの事
NYのユーザーはメガネを自己表現のツール、ファッションアイテム、自分の印象をコントロールする武器として使っていました。NYに来て初めて眼鏡の面白さと可能性を感じた頃でした。
支店のロケーションが家賃高騰から移転せざるをえず、契約満期一杯までは空き店舗にしてはならないと言うNY5番街の条例から、10ヶ月間その元の店を自分に任せて貰うことになりました。これがグローブスペックスへと繋がる最初のきっかけであり体験でした。ルールはたった一つ「在庫を増やさない事」のみでした。
メガネを積極的に楽しもうとしているニューヨーカーに選んで貰える店にするために
・徹底してウィンドウディスプレイに拘りました。間口が狭いのであっという間に通り過ぎず、足を止めて店内に入って貰える様に、毎日閉店後に周辺のティファニー、バーニーズ、Saks 5th Avenueなど、ディスプレイアーティストが腕を振るう名店がどの様にディスプレイを行っているのかを見て勉強し、自店に帰ってから深夜までウィンドウディスプレイを変えてVMDを作リました。毎朝窓に付いている指紋の数を見て、少なければ直ぐに前夜のディスプレイをまた変える、と言う事を日々繰り返した結果、徐々に店に入ってくる人が増えていきました。
・ファッションアイテムとして楽しんで貰うために、自分達自身の装いも今までの眼鏡店店員とは違うファッション性を心掛けて服装に注意しました。
・似合う1本を手に入れて頂くために、徹底してコンサルティングを行いました。
・当時はずっとアメリカで仕事をして行こうと考えていたので、技術的な知識の裏付けとして、米国の眼鏡士の試験を受けてライセンスを取得しました。
この様な試みを継続した結果、10ヶ月で移転した本店の業績を追い抜く売り上げをたった2人のメンバーで達成し、日本の本社を驚かせる結果になりました。
目指したのは、単にファッションを追った眼鏡店では無く、徹底してお客様が満足して、喜んで頂ける事、メガネを楽しいと思って頂けるようにしたことで、この考えは後のグローブスペックスの原点になっています。
またその会社の日本でのオペレーションは、商品は本社商品部が全部を一括仕入で管理し、売り場やお客様のニーズが仕入に反映されていませんでした。直接販売しながら買い付けも行うオペレーションが、よりダイレクトにスピーディーにニーズを反映して回転率が飛躍的に上がり、その循環が出来ると飛躍的に売り上げも伸ばせることを学んだんです。
家庭の事情で2年ちょっとで帰国となり、本社で経営企画室が新設されて配属になりましたが、いろいろあり、その後2社目の眼鏡販売会社へ転職しました。
2社目の会社では
30歳に2社目の大手眼鏡販売会社に入社しました。その会社の経営理念は自分がNYで目指した徹底した「お客様のご満足」を追求するを会社理念として全社一丸となって追求していた事から志望しました。社長室室長として本社で社長をサポートする仕事に就きました。仕事の関係上ヨーロッパの各国に出向くことが増え、各国のデザイナー、名店のオーナー等とも知り合い、日本やNYでは知らなかった小さな工房の面白いコレクションにも数多く出会いました。
ベルギー、オランダでは圧倒的に丸眼鏡が多かったり、フランスでは色がふんだんに使われていたり、スイスはメタルが標準であったり、国によって全く異なるデザインのスタンダードや眼鏡の掛け方の文化、歴史なども理解する事ができました。
初代の商品エア・チタニウムは針金を曲げただけのような、あまりのシンプルさに驚きを隠せませんでした。デンマークの著名な建築家が自分の掛ける眼鏡として作ったことを知り、何回もデンマークに足を運び、アルネ・ヤコブセンからずっと受け継がれている「ミニマリズム」というデンマークのデザイン思想を学び、それが建築、照明、家具などあらゆるデンマークデザインに生かされて世界中で愛されている事を知りました。デンマーク大使館の商務部と相談し、どの様にこの素晴らしいデザインの価値や製品を知らしめて行くかを相談し合った結果、通産省が振興していた(現経済産業省)グッドデザイン賞に出展してみることにしました。
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http://www.globespecs.co.jp/news/information/detail.php?id=20&fr=def